#東野圭吾
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#あらすじ
和昌と薫子の夫婦仲は、和昌の浮気が原因で冷め切っていた。
せめて娘である瑞穂の小学校受験までは表面的に円満な家庭でいようと二人が面接試験の予行演習に出かけた日、瑞穂がプールで溺れ意識不明との連絡が入る。
慌てて病院に駆けつける二人。
しかし待っていたのは残酷な選択だった。
目を覚ますことのない瑞穂を脳死と認め臓器移植を行うか、元に戻ることはないと知りながら延命治療を行うか。
曖昧な脳死の定義、国内でのドナーの少なさから来る問題に、鋭いメスを入れた東野圭吾の衝撃作。
#感想
脳死の定義がこんなに曖昧だなんて知らなかった…
脳死判定と呼ばれる諸々の検査を2回づつ行い、いずれも脳の機能が働いていないとされれば脳死と判断される。
裏を返せば、脳死判定を行わなければ脳死と言えず、脳死でなければつまり"死"でもないと…
この制度に、瑞穂の両親、特に母親である薫子は気も狂わんばかりに翻弄される。
当たり前だ!
(ここからはネタバレを含みます。
今後読むかもな人は引き返してね!)
瑞穂が生きていると信じ、脳死判定の実施を拒み続ける薫子を誰が責められるでしょう…
確かに延命治療にはお金がかかるし、瑞穂のケアには更に莫大なコストと人手、各方面のサポートが必要。
でも、それを叶えられるだけの財力が和昌にはあるし、和昌も渋々ではなく前向きに私財を提供しているんですね。
そうと分かっていても、薫子が強欲に思えてしまう瞬間があります。それはもうね、東野圭吾の手腕によるものだと思います。
そうやってね、読者に揺さぶりをかけてくるんですよ!東野圭吾という男は!
だって、仕方なくないですか?周りへの多少の迷惑と、大切な身内の命、天秤にかけるまでもないのが本当ですよ。
それが他人目線で見ると身勝手に映ってしまう…(映るように誘導する東野圭吾!)
守りたい、奇跡を信じたいなんて当たり前の感情なんですけどね。
臓器移植を選択される本人とその身内の方は、とても悩んだとしても、理解があり非常に思いやりのある方達だと思います。その選択は誰かの命を救い、心からの笑顔を生む行為です。
でも、間違えてはいけないのは、延命治療を選んだ方が優しくないなんてことは絶対に無いということ。
作中にも出てきますが、臓器移植を受けられることは望んでも、誰かの脳死を望むことはしないでおこう…ドナーを待つ側も戦っている。それは関係者全員、特に選択を迫られた側が一度は意識し悩むことでしょう。だから、この問題に正解や善悪はない。
ホントのホントに誰も悪くない場合、結局は自分が後悔しない道を選ぶしかないんだよな。。。
どう、思いますか?
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